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岩手県医療局労働組合
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平和運動、平和の波、原水爆禁止世界大会(医療労働者だからこそ大切)

◆1945年

8月6日 広島に原爆投下
8月9日 長崎に原爆投下

8月15日 敗戦

◆1954年

3月1日 ビキニでの水爆実験で第5福竜丸被爆

8月 原水爆禁止署名全国協議会結成
9月23日 第5福竜丸の久保山さんが被爆で死亡

◆1955年

1月 ウィーンで世界平和評議会開催、ウィーンアピール発表
7月 世界大会岩手県準備会結成
8月6日 第1回原水爆禁止世界大会が広島で開催
11月27日 原水爆禁止岩手県協議会結成

◆1959年

平和行進がスタート

◆1960年

安保改定反対闘争

◆1961年

核禁会議岩手支部結成

◆1963年

第9回原水禁世界大会で一部勢力が退場、分裂へ

◆1980年

ヒロシマ・ナガサキ アピール署名開始

◆1982年

第2回国連軍縮特別総会に岩手県代表6人派遣

◆1987年

統一労組懇の呼びかけで平和風船運動
県医労青年部長会議で「平和の波」運動を決定

◆1988年

米軍三沢基地の戦闘機が川井村に墜落
日米合同演習反対岩手県集会

◆1991年

日米合同演習反対東北緊急集会(一本木)

◆1999年

米軍三沢基地の戦闘機が釜石市に墜落
あああ

日米新ガイドライン関連法、周辺事態法等が成立し、有事法制=戦争準備法までもが準備されようとしています。憲法9条を守らせる運動、核兵器をなくす運動などに、みんなで参加し、地域から大きく広げることが求められています。


 県医労は、毎年の原水爆禁止世界大会に代表を送っています。また地域での住民過半数をめざす「ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名」などの平和運動の先頭に立っています。命を守る医療労働者として、反核平和運動、新ガイドライン法(戦争協力法)反対などさまざま運動に参加しています。
 岩手県において、原爆、水爆に反対する組織が作られたのは、1954年、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、 日本のマグロ延縄漁船第5福竜丸が死の灰をかぶり、乗組員23人が被爆したことに端を発します。 国民の強い怒りが、 自然発生的に原水爆禁止署名運動を起こし、 署名推進のために原水爆禁止署名全国協議会が発足、 県内にも 「原子戦争反対協議会」 が結成されました。また、第1回原水爆禁止世界大会が1955年に開催されるに当たり、岩手県からも代表を派遣しようと世界大会岩手県準備会が作られ、「県民1人1円募金」

支線コースとして平和行進に参加(1992年6月)


 

運動で代表を派遣。 募金による運動は 「岩手方式」 として全国的に高く評価され、原水爆禁止運動の、1つの型となりました。この準備会から、運動推進への恒常的新組織を、 と結成されたのが原水爆禁止岩手県協議会(略称=県原水協)です。県医労もこの結成当初からの参加団体です。

 1959年から始められた全国縦断の平和行進では、県内各地に支部を持つ県医労が全コースに参加、 医療班を組織するなど大きな役割を果たしました。 また、1982年の第2回国連軍縮特別総会には、岩手から佐藤良一県医労副委員長など6人を派遣しています。原水爆禁止運動は、不幸な分裂を経験しますが、今日では原水爆の禁止を求める大きな運動の本流となっています。また、ビキニでの水爆実験以降続けられている静岡での三・一ビキニ・デー集会、 米軍基地の撤去などを課題とした日本平和大会などにも、代表を派遣しています。
 青年部が中心となって、原水爆禁止世界大会代表への折り鶴作成、「平和の波」運動として、非核平和病院宣言運動などに取り組んできました。 また、 岩手自治労連青年部が中心となって始めた県内一周反核平和マラソン、日本医労連青年協による沖縄平和ツアー、全労連青年部による日本縦断反核ライダーなど、平和運動も多彩になっています。
 1人ひとりが平和問題に関心を持ち、「岩手方式」と称された歴史に学び、地域にも出て、 カンパ活動に取り組みながら、 各種集会に代表を派遣していきましょう。