地域医療の充実のために医師・看護師などの医療従事者の大幅増員などをめざして活動しています
岩手県医療局労働組合
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県議会請願、署名、増員(小さな声が社会を変える)

◆1968年

長坂病院廃止反対で、町民過半数の署名を添えて町議会請願、採択

◆1972年

 医療を守る久慈市民会議が1万人署名に取り組み、 小児科、婦人科の医師確保を県議会に請願

◆1973年

千厩病院支部で、 1週間で有権者の過半数を大きく超える署名を集め、内科医師の充足を請願
山田病院支那で、有権者の50.4%の署名を添え、内科医師の充足を請願
県議会で久慈、干厩、山田病院の医師確保の請願採択

◆1976年

久慈病院支部が、医療制度改悪反対の請願を市議会に提出
紫波地区労が、紫波病院に小児科、産婦人科の設置を求める請願を県議会に提出、採択
山田町議会が、医療制度改悪反対の請願を採択

◆1977年

増員を求める県議会請願が継続審査となる

◆1978年

請願の一部(医師の増員)を採択

◆1981年

千厩病院支部が署名5、721人分を添え、医師の補充で県議会請願

◆1982年

花泉病院支部が署名6、000人分を添え、医師確保を県議会請願
県医労が 「提言」 の実現をめざす11万250人分の署名を添えて、県議会に陳情

◆1983年

盛岡市議会、平泉町議会で「市町村移管に反対し強化拡充を求める請願」採択

◆1985年

大迫病院支部が医師確保署名で町民の7割の署名を添え、県議会請願、部分採択
県医労が5万人の署名を添え、県立病院の充実を求める県議会請願提出

◆1987年

久慈病院支部が人員確保で請願署名に取り組み、久慈市、野田村、山形村(その後大野村)議会で採択

◆1989年

大迫病院支部が地域医療の充実を求め町長に要請
県医労が10万1、576人の署名を添え、中村知事に大幅定数増員を要請

◆1996年

一戸、北陽病院の統合に反対し、町議会請願

◆1997年

高田病院の小児科医師の確保で、市民の数を上回る28、000筆の署名を添えて県議会請願、採択

◆1998年

 県医労が「10万署名」をめざし、全県キャラバンを実施、54、404名を集め県議会へ請願

これからの病院作りは、住民とともに作っていくことが求められています。どういう診療科が必要なのか、今の問題はないか等、地域医療懇談会などで常に住民の声に耳を傾けていきましょう。


 県医労が、県民に病院のあり方を訴えるのは、県医労結成から8年後の1959年のこと。地方公営企業法の全面適用という問題に直面したときでした。組合役員の多くが非組合員にされるという側面と、 経済性を一面的に強調した 「合理化」が推進されるという側面がありました。県医労は、単に 「県立病院」 及び「県立病院労働者」の問題としてとらえるのではなく、県立病院の設立目的の変質であり、「合理化」による地域住民へのしわ寄せが問題であるととらえました。 さらに、全医労や新潟県職労、全日赤などのたたかいに学び、たたかいの基礎は職場に、たたかいの発展は地域、地域共闘にあることを確認。 問題を全県民に訴えました。県議会でも「公益性」を巡って論議が集中し会期を延長。 最終的に全面適用条例は採択されましたが、県立病院のあり方があらためて全県民的に論議され、県医労の方針が県民に理解されました。

中央病院支部の院内署名(2002年3月)


地域で署名活動する高田病院支部組合員(1997年5月)

 地域住民とともに考えていく、 運動していくという方針は、 その後の統合、 廃止、移管問題で発揮されました。1968年の夜勤制限闘争や南光闘争でも、住民にアピールし問題提起するため市内デモ行進に取り組むなど、住民との共闘を意識してきました。
 大規模な 「合理化」 攻撃には、大規模な署名=10万人署名などに取り組んできました。「県立病院の市町村等への移管に反対し、強化・充実を求める請願署名」は1983年に県議会で請願が採択され、 「県立病院等設置の歴史的経緯をもふまえ、現行28病院体制で臨みます」との県の方針を引き出しました。「大幅増員を求める請願署名」では、10年間据え置かれた定数条例を改定させることができました。「県立病院の充実・発展・強化を求める請願署名」などにも取り組んできました。
 また、県立病院がある市町村議会にも、医師の補充、診療体制の強化などで働きかけ、住民の命と健康を守る砦として、住民・患者と運動しています。こうした運動では、県医労単独でなく、 地域の労働組合や住民団体との共同が大切で、日常的な信頼関係を作っていくことが大事です。
 高田病院支部では、 97年に常勤の小児科医師が不在になるという事態に直面。「子どものいのちと健康を守る会」を結成し、支部が一丸となって地域の方々と署名・宣伝、県及び市に対する要請行動に取り組み、市議会で請願が採択。市の人口を上回る28,000筆の署名はマスコミでも報道され、医療局に医療関係の全国誌に広告を出させるなどし、常勤医師を確保させました。