県立病院は、45床から730床まで、地域で唯一の病院からセンター病院まで、27病院(当時)があり、それぞれ大事な役割を果たしています。その歴史を振り返ると、いずれも住民が必要に迫られて作った病院が原型となっています。いつでも、だれでも、安心してかかれる県立病院をどうするかは、上から決めるのではなく、住民の声に耳を傾け、共に協力して発展させていくことが求められています。 |
施設数で全国一を誇る岩手県立病院も、市町村に移管するという危機がありました。1981年の第二次臨時行政調査会が出した答申が引き金で、国政においては、防衛力の増強、国鉄・電電公社の民営化、社会保障予算等の削減、地方も含めた行政機構の再編などをめざしていました。 るべき姿を県民に訴えていくことが大事である」とし、 約半年間の組織内の議論を経て、 翌82年2月の中央委員会に「岩手県立病院を真に県民医療を守る”医療・保健センター”として発展させるための提言」案を提起し、次期定期大会までに職場討議を起こすことを決定。6月の定期大会で満場一致で承認されました。 県医労では、「提言」の実現を求め、岩手県議会議長、 県議会全会派を訪問、説明するとともに、当時の中村知事にも説明の上、提出しました。さらに、医療局長、各市町村長、市町村議会議長、県選出国会議員に対しても、中央執行委員を先頭に、各支部役員が分担し、全県で要請行動を行いました。 この「提言」はマスコミからも注目され、県民各層から意見や激励が寄せられました。 |